noonerea’s this

ユーモアが好きと言っておきながらただのはけ口

位置

友人と飲みに行きました。いちばん仲良い奴、そこそこ仲良い奴、疎遠になりかけた奴と私の4人。2人で、3人で集まることはあっても、このメンバーでちゃんと対面で顔合わせたのは成人式以来でしょうか。なので近況を語りあうのがメインでした。

 

まもなく社会人になるので、お前は、あいつは、どこに就職したか、そういう話に当然なります。それを聞いて正直私は「ほえ〜」止まりなはずでした。このご時世に就職決まれば万々歳じゃん、あいつは優秀だったしすげえところ行くんだな、とか。あまり嫉妬とかはなかったはずなんですけど。ところが、お金が絡むとそうはいかない気がしてしまったのです。

 

たしかに就活の時に重視していたのは、業務内容はもちろん給与や待遇でした。某なんでも小売店でアルバイトしていたので、そこの社員の大変さを知っていたからです。いや、社会人なんてみんな大変なんだろうけどそこは桁違いのような気がして。なので、どれだけ大変であっても自分が興味ある業務だったらなんとか乗り越えられるんだろうな、という予防線は極力死守した。どうせ働くんだから少しでもモチベの上がることをしたい。そして、終身雇用なんてひと世代前の幻なのだから、何かしら身につけて転職できるような環境に身を置けたらいい、そうも考えていました。その上で選んだ内定先なので、不満はないです。これは確実です。

 

しかしというべきかだからというべきか、「すごい」内定先の基準がお金で語られるとどこか醒めてしまうのです。その内定先の名前だけ聞けば「ふーん」で終わるか、あいつやっぱり真面目だったんだな、とか、夢があるんだろうな、とか、その方向で話は広がるんですけどね。なのに収入や安定した生活、モテ度という点から語られた日にゃ俺の中のオスが黙っていねえぞ、と。

 

ジェンダー論は詳しくないですが、どうしてもオスがメスを守る構図が拭いきれない気がします。私は、某爺の発言には反発するし、原発には懐疑的だし、選択的夫婦別姓の議論は進めるべきだし、RATMは大好きだし、DHCやアパの広告を見るだけで笑ってしまうし、BLMを陰謀論だとする人とは距離を置きたくなるような自称リベラルなのに、です。レディを支えるのは安定した、もっと言えば「成功した」ジェントルマンがいいに決まってるんじゃないか。周りが軒並みガールフレンドをつくり、結婚を考えていたりする中でそういう焦りが出てくるし、彼らはそれを見越したうえで就活を終えている気がして。生物学(と言えるのか?) ・社会学の強制に苦しめられている気がして。私は残念ながら異性愛者なので(男の娘やシーメールモノのポルノも見るので性対象はこの限りではない)、こうした「通念」に囚われている限り自分を哀れに感じつづけることでしょう。ですから、私はよく周りに自嘲気味に「ヒモになる!」なんて言っていますけど、それは同時にオスがメスを守るという私の中で拭いきれない通念へのアンチテーゼを込めているような気がします。

 

結局、そんな恣意的な「位置」に囚われていることが時代遅れだし視野が狭いんじゃないのか。そう思ったら少し楽になりました。そういえば、高2の家庭科の授業でヒモになりたい的なことを言ったら、当時の先生から「ヒモになって愛されるのも才能なのよ」とイヤミもなく優しく返されました。私の発言にみっともない、とかやめなさい、とか言わなかったのです。当時は一本取られたと思っていましたが、今じゃ金言です。先生は私が卒業する前に退職してしまったので直接お礼もできないのが心残りです。

 

おいらは周りにせかされずゆっくり人生を楽しめるひとつ上の位置に行くよ、というのも恣意的な「位置」を決めてしまったゆえの愚かな行為かもしれません。なので、おいらは周りにせかされずに、みんなの幸せを願うよ、という仏のような心を持ちたいものです。

 

次回、仏道入門編でお会いしましょう。

 

2021.3.19