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ユーモアが好きと言っておきながらただのはけ口

末子

私は長兄です。妹がいます。いとこがいません。両親の実家双方からのたった2人の孫です。ですから、事実上末っ子なのかもしれません。

 

末っ子というとどんなイメージでしょうか?愛され上手だの親しみやすいだの考える人もいるでしょうけど、わがままマイペースみたいなイメージを持たれる気がします(これが共通認識だとしたらなかなか酷だと思いますが)。幼稚園〜小学校の頃、つまり通い先が地元の頃はお兄ちゃんぽいと言われましたが、大学だと長兄ぽさがないように見られていたみたいです。

 

今の会社でもそうみたいです。

ただ、末っ子ぽいと言われたのは初めてかもしれません。さて、上記の共通認識のもとでそう思われているのだとしたら?初々しくて親しみやすい新入社員である?それとも社員のくせにマイペースな奴?さて、その答えはいずれか。

 

何回か上長と面談をする時に、私に期待してくれている旨を伝えられます。回を重ねるごとに、「あんたはもっとやれるぞ!」というメッセージのオブラートが溶けてきている気がします。そして、先日こうも言われました。

「例年の新入社員より仕事覚えるの遅いって話があるんだけど」

「教える側が悪いですかね?」

「人が減るから危機感を持ってほしい」

良薬は口になんたらというが、これはエグみが強すぎました。やっぱり、末っ子のマイナスのイメージの方を保たれていた気がします。

 

私がマイペースぽく見えるのには、思い当たる節はありますよ。教わった作業それぞれの持つ意味や根拠を知らなければ気が済まないとか、荒削りなアプローチだから細かいことは何度も確認するとか。たとえば、私はカレーの存在を知らないのに毎日カレー作りに携なければならないとする。そうすると、まずカレーのなんたるかを知らなければならない。けれども、最初に覚える仕事は簡単なニンジンの皮むき。次は鍋に油を引く作業。次は米を研ぐ作業。カレーを知っていれば問題はないですが、カレーを知らなければ「皮なしニンジン」と「鍋にある油」と「濡れた米」しかわかりません。なぜなら覚える順番がバラバラで、繋がっていないから。私がやりたいのは、まずカレーの存在を教わり、それに近いものをとりあえず作ってみること。そこで、食べやすくするためにニンジンの皮を剥いたり、美味しいご飯を炊くために米を丁寧に研ぐ意味を知ること。その後に、ニンジンの皮は剥けきれているか、米はキレイに研げているか、などを味見してもらうこと。やっている意味がわからなければ、それは安いバイトに雇ってやらせればいい。名古屋市に提出するための、署名の書き写しみたいに。

 

OJTなんて言葉は響きがいいだけです。マニュアルがないことを誤魔化しているだけです。(おそらく)人事の人選によって渋々「トレーナー」になった方が私に仕事を邪魔されるのだから、気の毒です。そこで私が工夫してわかる範囲で構築しようとしているのに、「仕事を覚えるのが遅い」と言われるのはあまりに心外でした。面談時は萎縮や相槌で乗りきりましたが、帰宅中は苛立ちで鳥肌が立ったくらいです。周りがどう思っているかは知りませんが、私は割と真剣なんですけどね。

 

親会社から出向している同期がいます。1年で私の会社の業務を把握して、次年度から出世街道を進まんとする方々です。めちゃくちゃ口調は丁寧だし、仕事を覚えるのが早い気がします。あ、そうそう。なんとなく私よりしっかり基礎を教わっている気はするんですけど、隣の芝生が青いだけでしょうか。私の甘えのあらわれでしょうか。それとも、本当にこの方々にはより丁寧に教えているんでしょうか。

 

ガキの頃私が少し優秀だったゆえに、妹がそれに負い目を感じていた時期があったみたいです。今はそれぞれで別の分野を得意としているので、棲みわけができていて、お互いを尊敬できているような気がします。今にして、ようやく我ながらいいきょうだい関係だと思う一方、かつての妹へ申し訳なく思います。妹は大切な家族なので良い関係を続けたいですが、会社における親子や姉妹の関係は無理にその必要がないのかもしれません。

 

2021.05.15

位置

友人と飲みに行きました。いちばん仲良い奴、そこそこ仲良い奴、疎遠になりかけた奴と私の4人。2人で、3人で集まることはあっても、このメンバーでちゃんと対面で顔合わせたのは成人式以来でしょうか。なので近況を語りあうのがメインでした。

 

まもなく社会人になるので、お前は、あいつは、どこに就職したか、そういう話に当然なります。それを聞いて正直私は「ほえ〜」止まりなはずでした。このご時世に就職決まれば万々歳じゃん、あいつは優秀だったしすげえところ行くんだな、とか。あまり嫉妬とかはなかったはずなんですけど。ところが、お金が絡むとそうはいかない気がしてしまったのです。

 

たしかに就活の時に重視していたのは、業務内容はもちろん給与や待遇でした。某なんでも小売店でアルバイトしていたので、そこの社員の大変さを知っていたからです。いや、社会人なんてみんな大変なんだろうけどそこは桁違いのような気がして。なので、どれだけ大変であっても自分が興味ある業務だったらなんとか乗り越えられるんだろうな、という予防線は極力死守した。どうせ働くんだから少しでもモチベの上がることをしたい。そして、終身雇用なんてひと世代前の幻なのだから、何かしら身につけて転職できるような環境に身を置けたらいい、そうも考えていました。その上で選んだ内定先なので、不満はないです。これは確実です。

 

しかしというべきかだからというべきか、「すごい」内定先の基準がお金で語られるとどこか醒めてしまうのです。その内定先の名前だけ聞けば「ふーん」で終わるか、あいつやっぱり真面目だったんだな、とか、夢があるんだろうな、とか、その方向で話は広がるんですけどね。なのに収入や安定した生活、モテ度という点から語られた日にゃ俺の中のオスが黙っていねえぞ、と。

 

ジェンダー論は詳しくないですが、どうしてもオスがメスを守る構図が拭いきれない気がします。私は、某爺の発言には反発するし、原発には懐疑的だし、選択的夫婦別姓の議論は進めるべきだし、RATMは大好きだし、DHCやアパの広告を見るだけで笑ってしまうし、BLMを陰謀論だとする人とは距離を置きたくなるような自称リベラルなのに、です。レディを支えるのは安定した、もっと言えば「成功した」ジェントルマンがいいに決まってるんじゃないか。周りが軒並みガールフレンドをつくり、結婚を考えていたりする中でそういう焦りが出てくるし、彼らはそれを見越したうえで就活を終えている気がして。生物学(と言えるのか?) ・社会学の強制に苦しめられている気がして。私は残念ながら異性愛者なので(男の娘やシーメールモノのポルノも見るので性対象はこの限りではない)、こうした「通念」に囚われている限り自分を哀れに感じつづけることでしょう。ですから、私はよく周りに自嘲気味に「ヒモになる!」なんて言っていますけど、それは同時にオスがメスを守るという私の中で拭いきれない通念へのアンチテーゼを込めているような気がします。

 

結局、そんな恣意的な「位置」に囚われていることが時代遅れだし視野が狭いんじゃないのか。そう思ったら少し楽になりました。そういえば、高2の家庭科の授業でヒモになりたい的なことを言ったら、当時の先生から「ヒモになって愛されるのも才能なのよ」とイヤミもなく優しく返されました。私の発言にみっともない、とかやめなさい、とか言わなかったのです。当時は一本取られたと思っていましたが、今じゃ金言です。先生は私が卒業する前に退職してしまったので直接お礼もできないのが心残りです。

 

おいらは周りにせかされずゆっくり人生を楽しめるひとつ上の位置に行くよ、というのも恣意的な「位置」を決めてしまったゆえの愚かな行為かもしれません。なので、おいらは周りにせかされずに、みんなの幸せを願うよ、という仏のような心を持ちたいものです。

 

次回、仏道入門編でお会いしましょう。

 

2021.3.19

自粛

ナショナリズムがあるのなら、私はジェネレーショナリズムも存在すると思います。つまり、共同体的な意識と排外性が国単位で見られるのなら、それは世代単位・学年単位でも見られるのではないか、ということです。団塊の世代団塊ジュニア、Z世代、などがよく言及されていますが、それぞれの思想やパワーバランス、経験を体系的に表す学問分野が出てきても面白いかもしれません。誰か確立してくれないかなぁ。

ジェネレーショナリズムの構成要素になりうるのは歴史や流行の経験、任意の時点での年齢でしょうか。そこから主義・思想や世代間のパワーバランスを導き出す感じでしょうかね。あくまで学問としてのアプローチであるので個人経験から主語を大きくすることはできませんし、世代について論じるので、個人の詳しい思想まで関与できない事は留意したいところです。

じゃあ私の世代はどうなるのでしょうか。ちょっとだけシミュレーションしてみます。 まずは歴史・流行の経験から見ていきましょう。現在生きている人間すべてが例の惨禍に見舞われていますが、それよりも前の記憶も決して忘れられるものではないと思います。つまり東日本大震災です。私の住む埼玉県であっても、その揺れは恐怖でした。訓練でしか行われなかった引き渡しがなされました。テレビでは黒い海と壊れた家と炎と煙と小さな車、泣き叫ぶ人々。そしてずっとニュースとAC。おっと、関東主観論になってしまった。

自粛ムードってここでも経験していたと思います。あまりにも死者数・行方不明者数が多かったことへの追悼の意ということでしょう。ざっと見たところ、ライブや演芸、花見、新幹線開通セレモニー、結婚式などがその範疇にあったようです。考えてみれば中学の入学式という節目もそうでした。入学「式」という名前にしていなかっただけで、校歌斉唱とか顔合わせとかはありましたけど。 で、去年と今年。こちらも節目です。学生生活が終わるタイミングです。「初詣」に記載したような「青写真」がゴミ箱にぶん投げられているのです。節目として今までの世代が当たり前に行えていた楽しみを奪われているのです。自粛どころかほぼ禁止項目になっているものさえあります。 つまり、節目の年に自粛ムードを余儀なく演出させられることは我々の世代に共通するものだと思います。

そんな我々は現在20代前半。自我が形成されており、社会に溶け込もうとする年代です。人並みに物事を考えようとする努力はしているでしょう。ここで、「自粛について考えてみよう!」というテーマが出されました。さて、どうする? 私は「多少はする」と答えます。飲み会や旅行をゼロにすることはしませんが、オンラインでやる、多くて4人できればソロで出かける、その上で自分でできる対策は怠らない、ということです。楽しみより不安が勝らないように、と考えた上での目安なわけです。なので、来月頭に4人で湘南へ素泊まりに行きます。一泊です。ひと様には、きっといろいろ思われるでしょう。ですが、今にとってのベストだと思います。何にもしないことによるモヤモヤが多少薄まるし、大勢ではないでしょう。しかし、これはあくまで私の考え方です。

先日、中高の同級生が石垣島へ8人くらいで4日間ほど旅行していました。別に彼らを貶めるつもりはありません。ありませんが、、、とても複雑です。自粛という圧力によってバネを跳ねさせたい気持ちはよくわかります。ある程度の我慢をしている人間の気にもなれと思います。その強要が悪い考えだとも思います。前線で疲弊する医者や公務員の努力が浮かばれない気がします。対策万全ならまあ大丈夫かとか思います。何より羨ましく思います。これが全てです。羨ましさを隠しつつ自粛警察に加担しているのが事実です。

 

結局、主義・思想を世代ごとに大まかに特徴づけることなんてぺーぺーの学部生の知識では不可能な気がしてきました。専攻も違うわけですし。同時にそれは第三者へ考えを強要する行為になりうる気がしてきました。ただ、今20代前半の世代、特に1998年生まれは節目に自粛ムードが蔓延っている、その事実を他の世代にも知っていただきたい次第です。先人の努力のおかげで幸い戦禍とはまだ縁遠い(と思いたい)です。が、茨木のり子の『わたしが一番きれいだったとき』に共感を覚えてしまいます。衣食住には困っていませんが、老後のために2000万円積み立てなければならないみたいです。あ、また話がそれた。 私の世代の様子さえ知っていただければ嬉しいです。どうしろとは言わないので。

 

2021.3.2

出口

先日、とある英会話講座の3ヶ月プランが終了しました。そして卒論もあと少しで終わりそうです。いちばんの山場を乗り越えたので、なんだかもう終わった気分でいます。とても爽快感に溢れています。それはもう、関越トンネルを徒歩で渡りきろうとしているくらい。で、残り400mのところでバイクに乗せてもらえるかもしれない感じ。
 
この感覚は大学受験の時ぶりです。
本命の大学は2日にわたって試験が行われていました。初日は国語と数学。気持ち悪いほど筆が進んでいました。数学は、例年「おきまりのパターン」があるんですが、その年だけなかったみたいです。あんまりパターンで覚えていなかったので、自分は難なく解けていましたが、周りはどうやら大慌てだったらしいです。我ながらどっしり構えていた気がします。塾に大金を注ぎこんでもらった甲斐がありました。高校の同級生と帰りの列車で「お前受かるかもよ!」なんて言われて調子乗っちゃって。いや、でも本当にそんな気分でした。夕方くらいになってお腹が空いて、駅ナカで食べた丸亀製麺のとり天ざるうどん。あの美味さは一生忘れません。ワンコイン以下の飯屋で泣きそうになる学生なんて側から見れば可笑しかったでしょうね。
んで、翌日。英語と社会科です。英語もまあそこそこできました。問題はそのあと。社会科は選択科目で、私は地理で勝負することにしていました。みんな昼休みに世界史だの日本史だの勉強していました。少しくらい休めよ、と思いながら校舎の周りを散歩していました。そして、社会科のテストが始まりました。
 
 
わからねえ…
 
出題範囲が確か環境問題とか国際協調とかそこらへんだった気がします。この範囲は、地理の教員が「ここあんまり出ないからやらなくていいよ笑」と言って授業でさえ取り扱わなかったところでした。どうせタモリ倶楽部と時事問題の融合みたいなのが来るだろうとタカを括っていたらこのザマです。10%も埋まらねえ。やべえ。解けねえ。
 
鐘が鳴りました。私の闘いは終わりました。ぶつけられるだけぶつけたと思います。帰りがけに前日とは別の友人と合流しました。全落ちで浪人ほぼ確定なのでちゃんと勉強を管理できるように手帳を買いに新宿行くからついて来てくれ、と言われホイホイついて行ってラーメン食ってきました。彼の話が面白すぎてめちゃくちゃ楽しくて、地理で起きた不具合を忘れていました。家に着いたら「凱旋だーーー!!!!」と叫びました。そんな気分でした。
 
結果は不合格。その後点数開示したら2-30点足りなかったみたいです。休み時間に地理を見ていたら違った未来が見えていたと言える点差でした。違った未来で、運と親の財力を自分の手柄のうちだと思って以降暮らしていたかもしれません。「身の丈に合った受験回数」発言の恐ろしさを知らずに生きていたかもしれません。ある意味まともな挫折経験でした。
それでもプライドだけ高い自分はそれを受け入れられず、昨年の問題だったら受かっていた、とかもう1年やれば受かるかも、とか入学直後もそんなことばかり考えていました。大学以降の知り合いにも受験校マウントを取ろうとしていました。死ぬほどカッコ悪いっすね。
 
今でこそ偏差値だけで大学を語ることがいかにナンセンスかを知っています。某YouTuberグループの気色悪さもわかっています。それでも、親の財力という力があっても、私の努力経験はそこそこある気がしてしまいます。だから、未だに過去問も捨てられない。だから、「今年なら受かってた」を避けるために試験問題を新たに解くこともしない。気がつけば卒論に追われるし社会人は目の前です。ひどい時は「Soundtrack to Murder」という曲の歌い出しでドキッとしてしまうこともありました。
 
さて、今もトンネルの中にいますが、その出口は遠ざかる時があります。ひとつは夢の中にいる時です。たまーーーに、未だに高校生の時の夢を見ます。受験直前の私です。夢の中だとそれが現実に思えて焦ったり時にはワクワクしていますが、醒めると大学の4年間を否定している自分がいる気がして虚しくなります。それなりに知見は積み上げたし(マイナスからの成長は目立つ)、大学以降の出会いだってとても多いわけではないけどひとつひとつがとても濃いし。いや、出会いも多いわ。多くて濃密ですわ。もうひとつは終わっていないものを終わっているかのようにとらえる時です。試験が終わっていないのに散歩して最後の最後で大コケ。卒論が終わっていないのに終わった気分でいると…??4年前の反省くらい活かさないといけませんよね。こんなもん書いている暇なんてないんすよ。いや、あえて書くことでこの不思議な高揚を落ち着けてくれるんだと信じているんでしょう。心のどこかで。
 
 
2/5の金曜日が卒論の締め切りです。トンネルの先には都内散策、世界史の学び直し、宅録、外国料理巡り、川端康成にも想像のつかないこうした絶景が待っています。絶景ぶりに泣く可能性だってあります。今月だけは24時間マラソンのランナーの気持ちがわかる善良な人間になれるかもしれません。全速力で駆け抜けていくぜ。
 
2021.2.2

闘い

卒論の季節です。
私の所属学部では、異なるゼミに最大2つまで入室できる権利があります。卒論の執筆義務はゼミによって異なります。つまり、ゼミに入ろうが入らなかろうが、卒論を書こうが書かなかろうが卒業ができてしまいます。
 
私は2つゼミに所属しています。ゼミAとゼミBとしましょう。
ともに4年次の単位認定は卒論の提出を持ってなされます。単位取得の選択肢はゼミ以外にも存在するのに、自ら首を締めていると思われても仕方がない。
 
運が良く、どちらも「アジア研究」さえ擦っていればテーマは自由なのでそれには困りません。厳密にいえば、ゼミAは2年次からずっと「アジア研究」、ゼミBは2年次だけ「インド研究」がテーマでした。本当はゼミBでなくて都市構造論とか観光事業論を扱うところに入室したかったんですが、落ちちゃったんで妥協した形です。
結局インド研究のゼミBでも都市構造やりたーいってなって、西葛西とクアラルンプールのインド人街度合いを比較したレポートを書きました。そこで移民研究に関心を抱くようになります。商学部ゆえ、教授もその道のプロではないし自分も手探りなのでそこまで踏み込んだことはできていませんが。
 
で、結局ゼミAでもBでも在日ベトナム人(在留、が正しいらしいけど日本に住んでいる、ということを強調したいので在日、としています。在日〇〇大使館とか言うでしょ)の研究をすることにしました。やはり全く違う2本の論文を扱うのは大変ですから。ただ、全く一緒なのも面白くないので、Aでは自治体レベルで取りくむべき政策について、Bでは日本語能力が就労内容に及ぼす影響について、と棲み分けさせました。んで、先日Bの提出が完了。A4にして参考文献含めて18ページなのは我ながら頑張ったと思いましたが、他大の友人は95ページ書いたらしいっす。学部生なのに。
 
執筆の理由づけとして「卒業」を挙げる人がいます。私は違います。教授との喧嘩別れという最悪の事態を想定したため、論文を提出しなくても卒業要件は満たすようにしたからです。
 
なので、いつからか私は論文執筆の理由を「闘い」としました。
 
執筆を終わらせるための「自分との闘い」?たしかにそれもあります。恣意的にしない、論理を飛ばさない、とか。ですが、大げさながら「世間との闘い」とも捉えています。曖昧な定義に逃げる人々との闘い。ニュースとは名ばかりの仲良しコミュニティにいる人々との闘い(大手メディアのことではなく…以下略)。偏見や無理解との闘い…挙げればキリがありません。
 
人間、だいたい年取るほど経験値が増えるので、若気の至りが痛々しく見えると思います。年取った自分が見ても痛々しくないように、今の経験値を使い切れるだけ使い切って闘いをいったんは終えたい所です。

初詣

大学生のうちの多くは、親の財力のおかげで4年間の休暇期間を手に入れ、卒業旅行で海外へ赴くという青地図を描いているようです。かく言う私も両親の実家と両親の努力と運の賜物を存分に注ぎこまれて生きているので、同様の青写真は描いていました。元来旅行や地理学が好きな私からすればラフスケッチはいくらでも描けたのです。
もっと言えば、より活気があふれたであろう都内のアルバイト先で、多くの外国人観光客を対応したりちょっと仲良くなってみたり、と言うことだって描いていました。
 
ところが、去年は周知の情勢です。2月にサークルで行ったスキーや演奏会を最後にめぼしい記憶があまりないのです(もちろん就活とかはあるけどそれはなんか違うでしょ)。煌びやかさのカケラもないモノクロの日々です。私は2019年の延長線上と捉えていましたし、似た方も多くいらっしゃるでしょう。いちおう時間のある当時でしかできないことを探して試すことはしました。これは楽しかった。四国ひとり旅(近いうちにパートナーができるかもしれないから)、宅録、英会話…
 
私の母親の実家はお寺です。年末年始に除夜と初詣を行います。今回はこういう状況ですが、手伝いには行くので自動的に参加できます。とはいえ、やはり檀家さんの人数がかなり少なかったです。
正直除夜と初詣のお経は退屈です。まだ私は仏教の教えを知りたくなる境地に達していないですから。年末年始に限らず、彼岸やお施餓鬼などお経読みのイベント時は毎回脳内でフジファブリックの『桜の季節』が流れ続けます。なんでだろう。ただ、今回の初詣はちょっと違いました。
 
2021年の初詣で真っ先に浮かんだのが卒論の行方。再来週提出のものと来月頭に提出のもの。ヘルニア患者もびっくりするくらい首が回らない。卒論のやる気をブーストしなければ、と思ったらなぜか「海外へ卒業旅行」というキーワードが浮かんで離れないのです。今までの人の卒論のモチベーションと卒業旅行というのがリンクしている、という考えがあるからです。初詣によって、捨てたつもりの青写真はゴミ箱からこぼれ落ちました。24ヶ月あった2019年の後半は、実は2020年だった、という事実を突きつけられました。対して2020年を振り返るのが除夜なのだとすれば、私にとっちゃ存在しない年なはずだったので、振り返る必要はなかった。だからフジファブリックは鳴りやまなかった。
 
2020年は先日投稿した「収穫」の通り、ユーモアを大切にしようとしていました。これは同時に悲観的になりすぎないように、怒らなくていいところで(つまり政治的・人道的には許容できることで)エネルギーを使いすぎないように、という意味をこめています。感情のダムみたいなものを作っています。そのおかげでたかだか学年が1つ違うだけで世界中を飛び回っていた人たちを過度に妬ましく思わないようにできていたのです。初詣はちょっとした決壊を誘発させました。やはり妬ましい。ズルい。俺だってリバプール行ってアビーロード歩きたいし、アムステルダムの煙にドン引きたいし、ロスにGTA5の世界を重ねたいし、中国の違法建築レベルの街並みに度肝を抜かれたいし、列車で国境を越えたい。金がある程度稼げるようになろうと、これだけ時間のある日々は還暦までそう訪れないらしい。人並みの行動力が精一杯の私には、30目前で急に休職して長期の旅行、なんてしない気がする。旅行は好きだけど、それは時間のある学生生活の暇つぶしとして最適だから、という消極的な理由だからかもしれない…
 
そんなことを思いながら初詣は終わりました。終わってみればやっぱり2020年がなかった代わりに2019年は24ヶ月あったし、今年は2021年なのだと思いました。2019年25月に突入する、そんな年にはならないことへの暗示だと信じて…
 
あけましておめでとうございます。
 
 
2021.1.1

今年の収穫

大学生を4年もやるとさすがに情報源には厳しくなります。形だけでも卒論を完成させなければならないからです。それなのについ最近まで「芸能ニュースはウラを隠している!」なんて本気で思っていたものですし、中学生の頃は2ちゃんのまとめ系に蔓延っていた思想の煽りも受けていました。
 
去年、親父は両親に(つまり私の祖父母に)Chromecastをプレゼントしていました。詳しい意図はわかりませんが、祖父はよくAbemaやニコ動の将棋実況を見ていたので、それをテレビでも見せてあげたい、と思ったのでしょう。
ご多分に漏れず、当然YouTube鑑賞も日課となります。
一定の年齢を超えた人にYouTubeを見させつづけると思想の怪物に飲み込まれるようで、祖父も被害者になってしまいました。なんとなくとっていた朝日を読売に変え、テレビは嘘だと言い、ニュースとは名ばかりのYouTubeチャンネル、それどころか顔や名前を出さないゆっくりボイスをラジオのように嗜む。
 
これは決してうちの祖父に限った話ではなく、知人のTwitterにも見られると思います。(主に政治に関して、)「マスコミが報道しない事実」を矛に敵対勢力を批判する。当然、同様に盾として味方勢力を擁護する。そんな名前も顔も明かさないアカウントによるツイートを「考えずに」再共有する人は少なくないでしょう。
 
癪なのが、どれも「部分的には事実」でありそうなことです。COVID-19はインフルより死者数が少ないから大袈裟だ、とか、上級国民だから国に保護されている、とか、某国はスパイを各国に送り込んでいるから受け入れを停止すべき、とか、これらのことです。これらは論理の飛躍や拡大解釈の産物なわけだから、「部分的に事実」っぽく見えてしまいます。
 
だから就活中の今年の春先、ようやく新聞を読むことにしました。大手3紙すべてではなくよりによって日経ですが。各種SNSや朝夜ニュース以外のTVなど、娯楽の範疇になるものからニュースを取得することを極力やめました。情報源が乏しい奴らが持っている矛と盾に屈するのが癪だったからです。結果情報を判断するためには自分しかいなくなるわけです。本当に孤独なプロセスだし、情報に対する判断が果たして「正しい」のかがわからない。ワイドショーが情報源だったり世代が違うゆえに考え方も違う両親ともズレを感じるようになる。それがまた癪。
 
考えてみれば私はコメディが好きです。どんなにメッセージ性が含まれていても、感傷的でも、照れ隠しというオブラートと化すからだと思います。卑屈な人間性を笑いに変える人、時事ネタに物申すかどうかギリギリで結局笑いを忘れない人、出来事の本質でないところにあえてフォーカスして笑わせる人…同時に知性うんぬんではないクールさを感じるのです。ただの個人的な感情や思想のはけ口ではないのです(笑いを忘れて物申すだけの某早口からは感じられないもの)。
「軽く笑えるユーモアを うまくやり抜く賢さを」とは、奥田民生の名曲の歌詞です。ご本人の意図はわかりませんが、私は世知辛い情勢に対しても対処できる標語のようにも捉えています。
 
だから、祖父が陰謀論めいたことを口走っても、突拍子もないボケを返してみて話をすり替えたり、家で見ている記者会見に不満をいう両親に対して「あのおっさんヅラだぞ」と言ってみたり。個人的に抱えている政治・社会への不満もちょっとかわいらしく言ってみたり。どんな立体的な物質も、見る角度が違えば見え方が違うのは当然だし、それを無理に矯正させるのが不可能に近いことを知ったがための結論です。私がズレていたとしても同じでしょうから。
 
2020.12.29