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ユーモアが好きと言っておきながらただのはけ口

初詣

大学生のうちの多くは、親の財力のおかげで4年間の休暇期間を手に入れ、卒業旅行で海外へ赴くという青地図を描いているようです。かく言う私も両親の実家と両親の努力と運の賜物を存分に注ぎこまれて生きているので、同様の青写真は描いていました。元来旅行や地理学が好きな私からすればラフスケッチはいくらでも描けたのです。
もっと言えば、より活気があふれたであろう都内のアルバイト先で、多くの外国人観光客を対応したりちょっと仲良くなってみたり、と言うことだって描いていました。
 
ところが、去年は周知の情勢です。2月にサークルで行ったスキーや演奏会を最後にめぼしい記憶があまりないのです(もちろん就活とかはあるけどそれはなんか違うでしょ)。煌びやかさのカケラもないモノクロの日々です。私は2019年の延長線上と捉えていましたし、似た方も多くいらっしゃるでしょう。いちおう時間のある当時でしかできないことを探して試すことはしました。これは楽しかった。四国ひとり旅(近いうちにパートナーができるかもしれないから)、宅録、英会話…
 
私の母親の実家はお寺です。年末年始に除夜と初詣を行います。今回はこういう状況ですが、手伝いには行くので自動的に参加できます。とはいえ、やはり檀家さんの人数がかなり少なかったです。
正直除夜と初詣のお経は退屈です。まだ私は仏教の教えを知りたくなる境地に達していないですから。年末年始に限らず、彼岸やお施餓鬼などお経読みのイベント時は毎回脳内でフジファブリックの『桜の季節』が流れ続けます。なんでだろう。ただ、今回の初詣はちょっと違いました。
 
2021年の初詣で真っ先に浮かんだのが卒論の行方。再来週提出のものと来月頭に提出のもの。ヘルニア患者もびっくりするくらい首が回らない。卒論のやる気をブーストしなければ、と思ったらなぜか「海外へ卒業旅行」というキーワードが浮かんで離れないのです。今までの人の卒論のモチベーションと卒業旅行というのがリンクしている、という考えがあるからです。初詣によって、捨てたつもりの青写真はゴミ箱からこぼれ落ちました。24ヶ月あった2019年の後半は、実は2020年だった、という事実を突きつけられました。対して2020年を振り返るのが除夜なのだとすれば、私にとっちゃ存在しない年なはずだったので、振り返る必要はなかった。だからフジファブリックは鳴りやまなかった。
 
2020年は先日投稿した「収穫」の通り、ユーモアを大切にしようとしていました。これは同時に悲観的になりすぎないように、怒らなくていいところで(つまり政治的・人道的には許容できることで)エネルギーを使いすぎないように、という意味をこめています。感情のダムみたいなものを作っています。そのおかげでたかだか学年が1つ違うだけで世界中を飛び回っていた人たちを過度に妬ましく思わないようにできていたのです。初詣はちょっとした決壊を誘発させました。やはり妬ましい。ズルい。俺だってリバプール行ってアビーロード歩きたいし、アムステルダムの煙にドン引きたいし、ロスにGTA5の世界を重ねたいし、中国の違法建築レベルの街並みに度肝を抜かれたいし、列車で国境を越えたい。金がある程度稼げるようになろうと、これだけ時間のある日々は還暦までそう訪れないらしい。人並みの行動力が精一杯の私には、30目前で急に休職して長期の旅行、なんてしない気がする。旅行は好きだけど、それは時間のある学生生活の暇つぶしとして最適だから、という消極的な理由だからかもしれない…
 
そんなことを思いながら初詣は終わりました。終わってみればやっぱり2020年がなかった代わりに2019年は24ヶ月あったし、今年は2021年なのだと思いました。2019年25月に突入する、そんな年にはならないことへの暗示だと信じて…
 
あけましておめでとうございます。
 
 
2021.1.1